Nick the Record

25年もの間、Nickはこのシーンと静かに関わってきた。ときにDJをし、またレコードをリリースし、ディスコやソウルのレコードを売ってきた。彼はDJキャリアの大半を日本で費やしてきたが、ここ数年はDekmantel Selectors Festival、クロアチアのGarden Festivalといった大規模なフェスティバルへの出演や、ロンドンのPhonox、パリのConcrete等々各国のクラブでDJする機会も増え、今や毎週末、世界中の都市を飛び回っている。
現在、NickはIdjut BoysのDan Tylerとレーベル”Record Mission”を運営している。

80年代にロンドンのヒップホップに影響を受け、その後レアグルーヴ・シーンに、また1988年にはサマー・オブ・ラブに夢中になった。90年代初めにロンドンのウェアハウス・パーティシーンでDJを始め、多くの場所でプレイするようになる。同時に、DJ Harveyの伝説的なクラブMOISTにもゲスト出演し、VoxのパーティQUIRKYのレジデントDJを務めるようになった。

93年アンダーグラウンドパーティLifeforceのクルーとの出会いにより、Nickは日本との交流をスタートさせることとなる。この伝説的なパーティは、日本のシーンに画期的な変化をもたらした。日本には、すでにアメリカの有名DJを招いてのクラブシーンがあったがLifeforceは何かが違っていた。年に数度来日し、彼はレジデントDJとしてイギリスの”フリーパーティ”の精神を日本にもたらした。ガレージからディスコ、デトロイトテクノ、シカゴアシッド等の幅広い音楽が繰り広げられるこのパーティは、日本のクラブシーンを”Clubbing”から”Partying”へと変えたのだった。

ここ12年間、彼は日本中でプレイしたが、特に国内最高峰のアンダーグラウンドミュージック・フェスティバルTAICOCLUBのレジデントと、毎年このイベントのクロージングを担当したことは彼の日本での活動のハイライトの一つとなっている。

90年代後半には、マルチインストゥルメンタルのTim Huttonと共にSOUL ASCENDANTSを結成。Fela Kutiへのトリビュートとなる1stリリースは、世界中の評論家やDJに好評を博した。Timmy Regisford、Joe Clausell、Francois Kevorkian等にもプレイされたこの曲は、一晩で3回プレイされたこともあるという。

また、彼はレアソウル、ファンク、ジャズ、そして特にディスコ、ブギー、ヒップホップのレコード・ディーラーとしての仕事を生業としている。この仕事は、Nickが広いジャンルのレコードを手に入れることを助け、おそらくイギリスで最も珍しい12インチのコレクションを可能にしたのだろう。
Nickはハウスやディスコを軸に、ムードが明るいときにはアフリカンやトロピカルなレコードをプレイする。彼が好む日本では、通常5~9時間のロングセットをプレイしている。